子育て中の妻へ言ってはいけないことばを考えてみた

みなさん、こんにちは。あけましておめでとうございます。2月に新年の挨拶がしたくて、日記を書くのを控えていました。・・・そんな強がりを言えるのも、きっとウェブログだからかしら。あと、挨拶に関係ないですが、ぼくは住宅ローンを10年以上の設定で借りています。(参考:2011-02-03)これについて特になんとも思っていません。水道料金を払うのにアレコレ悩まないのと同じです。強がりではありません(この頬をつたう液体は何?)。さて今回は、自称イクメンのぼくが、先日気になった記事を参考に考えてみました。


子育て中のママに言ってはいけない、旦那からの地雷ワード集
子育て中のママさんたちが、ダンナさんのどんな一言で腹を立てるのか?を集めた記事です。


たいへん興味深い切り口だと思いました。ぼくの妻(@kobeni)も子育て中なわけですが、ぼくだったら、何を言うと妻を怒らせちゃうかなあ、と考えさせられました。
そこで、なるたけ自分が言ってしまいそうなことを考えてみました。



「これだから3次元の嫁はダメなんだよ」
あきらかに、2次元の嫁との比較です。これはまずい。言ってはいけません。エロゲじゃないから大丈夫だもん、とか線引関係なく、まずいです。そういえば恋愛シュミレーションゲーム「ラブプラス」が3Dゲームでも発売されるらしいですよね。「それじゃ、小早川凛子がついに3次元嫁になってしまうのではないかなあ」と今から心配です。でもあれか。Nintendo 3DSは、手前に飛び出るというより奥行きを感じる見え方らしいから、まさに「奥さん」なのか。




いとうまゆ のほうが、いいね」
あきらかに、NHK教育番組「おかあさんといっしょ」のダンスのお姉さんとの比較です。3次元であろうと妻以外の女性への恋慕を露骨に表明してはまずい。たしかに、いとうまゆさんは魅力的です。ぼくが彼女に惹かれてしまうのは、あの躍動感あふれる健康的な肉体に対してです。とりわけ始終肩(四十肩ではない)を露出しているところがたまらない。ぼくはノースリーブ姿の女性に完全に弱いんです。うおおおおおおお。おい、ちょっと待て。プリントアウトレベルかもしれないが、このノースリーブ嗜好にも理由があるから聞いてくれ。それは、記憶を遡れば、Ζガンダムに登場するエマ・シーン中尉にたどりつくんだ。当時、リアル中学2年生だったぼくはエマ・シーン中尉に完全にヤられた。ティターンズを抜けてエゥーゴに参加して彼女は正解だ。制服が正解だからだ。ぼくが思うに、エマ・シーン中尉も制服がイカしているからエゥーゴに来たんじゃないかな。中学生って、あこがれの高校を制服で決めたりすることもあるじゃない。


おかあさんといっしょファミリーコンサート
参考画像(いとうまゆさん)

http://www.z-gundam.net/z3/chara/aeug.html#4
参考画像(エマ・シーン




「この女優さん、30越えてから劣化がはげしいなあ」
あきらかに、自分と同年代の活躍している人たちに対するコンプレックスの裏返しです・・・。自分が情けない青春時代をすごしていた頃、まばゆいばかりに輝いていたアイドルや女優さんたち。その彼女たちが年齢を重ねただけで、鬼の首をとったかのように主張するなんて、やっちゃいけません。それを聞いた妻(32)が「素敵!あなたの発言に慧眼したわ」なんてゼッタイ言ってくれません。あと、誉めてるつもりで「この女優さん、ぼくと同じ年の割に若いなあ」という逆クロス的な発言も悪印象度はほぼ変わりません。




(ブツブツ、小声で、聞き取れない)
「フランスのエッフェル塔の建築に反対していた人がいたんだよ。でも、その人の反対とか関係なく完成しちゃったんだよね。だって、いまあるじゃん。でね。その人さあ、エッフェル塔ができてから、ずっと塔の中にあるカフェに通い続けたんだって。おかしくない?建設に反対だったくせに、いざ建ったら入り浸るなんて。なんでだと思う(質問いれる!)。うーん、正解は、その人いわく『ここが、パリでいちばんエッフェル塔を見なくてすむところだからだ』だって。その人、クールだよね」。と、いうようなTumblrで流れてきた話を自慢げに話すのはやめましょう。あと、「その人、だれ?」ってモヤモヤさせるからやめましょう。




「インフルエンザにかかっちゃった・・・」
あきらかに、健康管理ができていません。子どもに感染にリスクが高まることを考慮すれば、妻からは「大丈夫?」なんて心配されるよりも「帰ってこないで」と言われてもしかたありません。




「息子の偏食を、クリティカルにソリューションできないかな?」
あきらかに、仕事モードから切り替えができていません。たしかに仕事と同じように、家庭内の行事は複合的な要因によって、重要度・緊急度がはげしく入れ替わり混迷をきわめます。だから、つい仕事での成功体験を導入しがちなのですが、うまくいく試しなどありません。とりわけ育児は、自分たちの努力だけではどうしょうもない要素が満載です。それに抗える理論などないのです。「よし、これからはソーシャル子育てだ!」とか盛り上げても、それ、ただの育児参加ですよね、ということです。さらに「もしドラ」に影響されて「真の顧客は、この息子だ!」と発見しても、泣いている幼児を抱っこする時間は短くなることはありません。




「遠慮するなよ。愚痴を聞けるのは、ぼくしかいないからね」
あきらかに、内心でとどめるべき心がけを口にしています。言わなきゃいいのに、です。




(ギャグになりきれてない)
「モノラン、モノラン、物足らん♪」って、小声で歌っていたら、「やめて」といわれました。あきらかに、嫌がられました。




「きみのブックマークコメントに、スター5個ついているぞ」
あきらかに、家庭内なのにソーシャル経由しすぎです。あと、スターの数は自分で数えるほうが嬉しいものです。




(言い間違えてしまう)
「そのオツム、捨てておいて」とか。




(自分で言わずに、子どもに言わせる)
「ママの顔、おかしいねえ」とか言わせてみると、楽しいねえ。




オフサイド、っていうのはさあ・・・」
あきらかに、サッカーに興味がない妻が「だいたいオフサイドとか意味わからないし」と、単に牽制目的で言っただけの事柄に対して、マジ解説しはじめちゃダメです。





・ ・・というようなかんじで、今年もいきたいと思います。


最後に、ちょっとマジレスモードで考えたのですが、ほんとうに言ってはいけないことばなんてないと思っています。長い月日を共に暮らす夫婦なんですから、言いたいことはいったほうがいい。それで、もし相手を傷つけることになってしまったら、その時はまたことばを考えてみるのがいいんじゃないかな、と思いました。考えずに「これはNGワードだろ」と口を閉ざすことのほうがカンタンなのでしょうけどもね。

タバコ値上がり直前!ぼくの孤独な禁煙方法を紹介します。

みなさん、こんにちは。9月になっても、なんかこう全体的に暑いですね。最近あまり耳にしなくなりましたが、この季節の慣用句に「ラムサール条約も彼岸まで」というのがありまして、秋分の日をめがけて、これから少しずつすごしやすくなっていくのだと思います。湿地保全♪湿地保全♪。ほら、少しは涼しい気分になりませんか?



■禁煙の絶好機は「いま」。このビックウェーブにのらない手はない。

ご存知の方もいると思いますが、10月からタバコが値上がりします。1本あたり5円程度上がるようです。1箱100円前後の値上げ・・・マイセンなどの一般的なタバコが400円前後になるということで、これは喫煙者の人たちにはけっこうな痛手です。そのためでしょうか、コンビニでは先月からチラホラと「値上げ前のまとめ買い」をあおるポスターを目にするようになりました。このあおりははたして正義としてどうなのか、サンデル先生に聞きたいところです。それはともかく、この機会に禁煙に挑戦する人が増えているようですね。

http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100906/biz1009060050000-n1.htm

ドラッグストアでは禁煙グッズ売上が増え、禁煙外来の受診者も増加中とのこと。いまはネット上で禁煙を支援するコミュニティもあるようです。困難なことに挑戦する場合、仲間やライバルがいたほうがクリアできる率は上がるものです。そういうムードに便乗してスタートできるのが「いま」のいいところだと思います。・・・ぼくは独りのほうが、いつも気が楽なので、仲間もなく禁煙に挑みましたけれどもね。というわけで今回は、ぼくの禁煙方法をご紹介したいと思います。



■ 禁煙を成功させる心構えは、「吸わない」ではなく「触れない」。

ぼくが禁煙したのは2年前。それまでは成人以来10年以上吸っていました。やめようと思ったきっかけは妻の妊娠でした。禁煙補助薬をつかう方法で挑戦しました。ニコチンパッチを上腕にはりつけ肌からニコチンを吸収することで、タバコを吸わなくても中毒症状をやわらげていくという治療法です。禁煙法としてはメジャーに推奨されているやり方だと思います。当時はまだ禁煙外来も見あたらなかったので、ドラッグストアの店員さんに初回に説明をもらっただけでしたが(用量の話だけでした)・・・。それはともかくとして、ぼくが禁煙を成功させるために心がけていたのは、二度とタバコに「触れない」ということでした。禁煙が失敗する理由はたくさんありますが、具体的な動作はタバコを「吸う」という1つの行動に集約されます。逆にいえば、どんな理由があろうとも、ここさえ守ればゼッタイ禁煙はできます。しかし、そのたった1つの行動を、ついやってしまうのも薬物中毒の恐ろしさ故なのですが、「吸う」ことを禁止するだけではなくて、その手前の動作にも禁忌事項を作らなければ、守りにくいのです。それが、ぼくの場合「触れない」というルールでした。「吸わない」というルール設定だけでは、「口にするだけ。ふくむだけ。吹かすだけ」という言い逃れができてしまうのです。


「触れない」を含む、具体的なルールとしては・・・

● タバコ、ライター、灰皿には触らない。
● タバコを見ない。(関連するものも)
● 喫煙所に行かない。
● タバコを販売しているコンビニに入らない。


という感じで設定していました。

意外とやっかいな存在が、ライターではないでしょうか。プレゼントでもらったり、高価だったりで、なかなか捨てられない感じがしちゃうんですが、禁煙するためには絶対捨てなきゃなりません・・・。喫煙グッズをアクセサリーとして贅を尽くしてしまうと、捨てれらないために、なかなか禁煙自体がスタートできないと思います。



■己を論破するのは容易いので、論理的な禁煙理由にしないほうがいい。

ぼくがタバコを辞めたいと思った一番の理由は、妻の妊娠でした。ほかの人の理由でよく耳にするのは、金銭面、自分の健康、環境要因などの理由があたりでしょうか。禁煙をはじめるきかっけはどんな理由でも良いと思いますが、理由を1つだけにしておくと、カンタンに自分で看破できてしまう危険があると思っています。たとえば、アルコールが入ったりすると気が緩むので、「まあまだ妻が出産するまで月日があるから今日はいいか」とか「どうせ飲み会に来ているくらいなんだからタバコ代程度はもうかまわない」など、禁煙を辞めてしまう言い訳がライトにできてしまうのです。故に、禁煙理由は複雑にしてくと成功率が高まると思っています。ぼくの場合は「妻が妊娠しているから、臭いに敏感になっている。まるで土佐犬のようだ!怖い。」という設定を本気で思い込んでいましたし、いまでも土佐犬のように怖いです(なんか違うぞ)。



■ 吸いたいときのパターンを把握しておく。

喫煙習慣があるとき、人はタバコを吸いたくなるタイミンングは必然であると感じています。たとえば、朝起きたときに「睡眠によってニコチンに餓えているから」と思ったり、食後は「満腹感がニコチンを美味しくさせるから」などと感じることが該当します。これらのタイミングにさしかかると、自然とタバコのことを意識するのですが、じつは理由なんて本当はなくて、タバコに火を灯しやすい、そのきっかけ(トリガー)が常態化しただけなのです。「なんとなーくいつもの習慣として吸っている」という時がそれですね。この常態化をふせぐためには、先んじて意識の表層にあげておくことが、じつは心理的に有効だと思っています。「朝は吸いたくなるもの。」と思っておけば、いざ朝になったら「やっぱり吸いたくなるよな、ハハハッ!」と達観的に楽しむことができます。しかしまぁそれだけでは弱いので、ぼくは「朝は吸いたくなるもの。男の子だからね!」という具合に、『男の子だからね!』の台詞を追加する戦法を実施していました。「目の前で同僚に吸わると吸いたくなるなあ」と思ったら「吸いたくなるよなあ。男の子だからね!」とか「ガマンしているとイライラする」と感じたら「イライラするよね。男の子だから!」などという具合です。どうです?ニコチンを欲しがる気持ちがなんかちがって感じてきませんか。いや、べつに「男の子だからね」ではなくてもいいのです。ともかく、喫煙に対する己の感覚を相対化させておきましょう。ちょっと気持がラクになります。



■自己流よりも、病院に行った方がいいよ。ラクになれるから。

最後に。ここまでの記述をひっくり返すようなことを書きますが、今回紹介した禁煙のポイントはけっして万能ではありません。あくまで俺流・・・「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな」の極みです。喫煙習慣は、その人のライフスタイルに密接して存在しています。ですから、なかなかタバコを人から切り離すことができないものです。そして、そもそもネットで調べた情報をもとに自己流で禁煙を始めても、うまくいかないんじゃないかなと思っています。ネットで「禁煙」と調べるとアフェリエイトサイトばっかりでウンザリもしますね。それよりも医者に診てもらったほうがいいんじゃないかと思います。でも、ここまで読んでくれてありがとうございます。あとできれば「禁煙2周年、乙!」と祝ってちょうだい。

話題のドラマ「素直になれなくて」はSFなのであ〜る。

みなさん、こんにちは。今回、育児の話は、ほ〜ぼゼロです。ごめんなさい。ごめんください。ごめんください、麺ください。


先週木曜の夜。「素直になれなくて」の第一話を妻といっしょに、リビングのソファでひざをならべて観ました。・・・といっても仲睦まじく「きゃっきゃ、うふふ」という感じではありません。夫婦それぞれがMac BookとiPhoneのモニターを見つめてツイッターをしながら、「ついでに」ネタ元になっているTVドラマをときおり眺めている状態でした・・・。しかも時々、息子が夜泣きをして、どちらかというと僕が対応していました。ホントはずっとTLを見ていたいのに・・・なんて妻には言えません。というわけで、かなり「素直になれてない」状態で「素直になれなくて」を視聴していました。


■「素直になりすぎた結果が、大量のリムーブだよw」といった台詞は一切ない


「素直になれなくて」の内容説明は、公式のフジTVのサイトhttp://wwwz.fujitv.co.jp/sunao/index.htmlを観てもらいたいです。・・・ぬけるような青空が印象的な写真がきれいですね。ちなみにさきほど、はてなで知ったのですが、AV女優の蒼井そらさん名前の由来が「ヌケるような」だとのことで、この秀逸な蘊蓄を、披露したくてウズウズしているのですが、もし会社で披露すると、ぼくが話者である限りはアウトなのでここだけにしておきます。


さて、上のサイトの紹介から伝わってくる印象は「ツイッターを通じて出会った若者たちが織りなす青春群像ドラマ」といったところでしょう。しかし実際は、第一話にて、冒頭の「オフ会」こそツイッターぽい臭いがあったものの、すぐに、「パワハラ」「セクハラ」「万引」「売春」「妊娠」「ドラック」「入墨」「アダルト誌グラビア」「#sokuhame」(苦笑)など、これでもかと衝撃事実的アイコンの大行進でした。ツイッターは、残念なほど影が薄かったです。江口寿史の佳作「日の丸劇場」の主人公ばりに途中から出てこなかったです。ぼくも影の薄さにかけては、S級素人ランクの人間なので、そこに関しては深い共感をえることができました・・・ともかく、「ナカジ!赤ファボ乙!」「おれが受け取るDMはリムッターからだけだ!」みたいな共感セリフが一切なかったことから自明のように、「このドラマはツイッタードラマではない」ということだけを、ぼくらはツイッターのTLのなかで分かりあって、つながりあえた夜だったんじゃないかと思っています。


ツイッターのなかに脚本家がいる、というメタな状態


脚本家の北川悦吏子さんは過去、平均視聴率が30%の「ロングバケーション」をはじめ、あまたのヒットドラマを手がけてきた方です。今回は「ツイッターを題材にする」と決まった2月頃から北川さんもツイッターをはじめたようです。その後から現在までの騒動/バトルの詳細は省きますが、彼女が描くドラマよりも本人の存在がドラマになっている状態です。とくにドラマがスタートした木曜日からは、TLに顕著に見られるようになりました。ぼくとしては、脚本家の北川さんだけが作品の批評の矢面に立つのはどうなんだろう、とも思っていますが・・・それはさておき、脚本家がツイッターにいる状態なので、ぼくたちはツイッターで「@halu1224」と付けさえすれば、簡単に彼女へ意見や感想を飛ばすことができます。実例は示しませんが、けっこうネガティブな意見が送られているみたいです。まぁ、ぜんぶは読まれていないっぽいですけれど。そしてここ数日、彼女が「炎上」について言及するなど、ますますカオスな状況に近づいております。で、この状態がなにかに似ているなぁ、と、ぼんぼんぼんやり考えていたら、思い出したんです、「朝のガスパール」のことを。


■18年前のぼくらは、電話と同じ回線で、パソコン通信なんてしていた


朝のガスパール」は、筒井康隆が1991年〜翌年まで、朝日新聞で執筆していた連載小説です。1992年に日本SF大賞を受賞しています。

朝のガスパール - Wikipedia

この小説は1日1話ずつ掲載という新聞連載の特性を利用し、その日の掲載分を読んだ読者からの投書やASAHIネットのBBSへの投稿を作品世界に反映させ虚構と現実の壁を破るという実験的手法がとられた。


90年代初期のまだインターネットも普及しておらず、電話回線を使ったパソコン通信の時代ではありますが、当時の先端テクノロジーをつかい、同時的に物語へ読者も影響を与えられることを「前提にして」書かれた作品でした。しかし、物語が進むにつれ、筒井康隆が読者(の意見)に対して反撃をするなど、世界の構造が複雑さを増していくのです。

この小説には世界が5重に存在する。オンラインゲーム「まぼろしの遊撃隊」内の世界、そのゲームに熱中する主人公達の世界、その主人公たちの物語を書いている(という設定の)小説家(筒井康隆ではない)や編集者の世界、その小説家の新聞連載に影響を与えている投書やBBSの世界(作者筒井康隆の脳内とも言える)、その投書を書いたりBBSに書き込んだりしている読者(現実)の世界である。 通常ならば互いに交わるはずのない5つの階層に、筒井ならではの文学的実験(メタフィクションの手法)が試みられる。


メタですよ。奥さん。メタです。三度のご飯よりもおかずが好きなぼくはそれ以上にメタには弱いんです。ぼくはSFにはぜんぜん詳しくないのですが、メタ的な物語にとっても惹かれてしまうんです。プロレスの世界に「ブック」というメタ概念があるように(八百長とか、筋書き、なんて言わず、ブックと言うのです)、目の当たりにしている物事の背景に、それまで知らなかった思惑があることに気づかされる瞬間、とてもゾクゾクしてしまうんです。妻が愛してやまない「新世紀エヴァンゲリオン」(97年日本SF大賞受賞作品)も終話近くからメタ視点バリバリになっちゃって「えっ。これ夕方のアニメ番組?」と驚いたものでしたよね!・・・興奮しがちになってしまいましたが、ともかく北川さんがいま居る所というのは、放送されているドラマに対して、階層がひとつ(2つかも?)上(もしくは下)のところにいるんです。で、ツイッターをやっているぼくらもこの階層を、ずっと上り下りしている感じなのです。


■本筋とは離れますが、あの美人すぎる女優さんは、なんて井川遥


さて、18年前の筒井康隆は物語の上り下りをコントロールしながら、読者の意見をねじ伏せて終幕まで導いていきました。いっぽう現在、当時とはくらべものにならない数の批評を受けているであろう北川さんが、事態を収集させるためには、筒井康隆以上にSF的な物語の手法を使うほか『ない』とぼくは考えています。よって、この後はSF展開していく、というのが今回の結論です。朝のガスパールだって第一話は、兵士たちが目的も分からぬまま行進をしているだけでした。きっと「素直になれなくて」も第二話以降から、津田さんをモチーフにした「金髪ブタ野郎」や、勝間和代さんを彷彿とさせる「オンナ勝間和代」、けいおんの登場人物たちの名前を勝手に使う「テクノバンド」、ふつうに「ガチャピン」、ふつうに「田辺誠一」など、フィクションと現実とが溶け合うような人物たちがあらわれて、思いもよらぬ展開をしていくことでしょう。


ちなみに、ぼくのほかにも「朝のガスパール」との類似点を指摘されているかたは多くいらっしゃいました。ツイッターのなかで「朝のガスパール」と検索するとご覧になることができます。そして、その発言をされているかたのほとんどは、朝のガスパール的な展開だったらいいなぁという主旨みたいです(ちがうかたもいますが)。そして、ぼくもそうだったらいいなぁと思っています。






本日のガンダム話。

セーラさんがガンダムで初出撃したとき、カタパルトから飛び出すガンダムのあまりパワーに圧倒され「す、すごいGぃ!」と絶叫し失神してしまうシーンがあります。小学生の頃、この台詞がぼくの周囲で流行りました。その当時はお下品な想像など微塵もしていなかったのですが、今だとけっこうイヤらしい想像をしてしまいますね。・・・妻からは「わたしたちにとって、この地球は広すぎるの。それはもう絶望的なスケールで広いのよ、この世界は。それは分かるよね。オーケー。でも、その広大さを考慮しても、あなたが考えたことを、あなたが考えたままに、善意ではなく、同情でもなく、理解をしてくれる人は、世界で私だけなのかもしれないのよ。わかって?(セーラさん口調)」と、云われました。いや。賛同してくれるかたが、3人はいるはず、とぼくは信じているのですが。

育児参加する男性だけが簡単に享受できるメリットについての仮説

こんにちは。
先日、ひな祭りがあったので(うちは息子なのでスルーですが)、ぼんぼり、ぼんやりと育児を通して感じた「とある仮説」について書いてみたいと思います。なぜ仮説を紹介するのか?というメタ理由を語るのは省きますが、仮説ゆえにまちがっていることかもしれませんので、今回はネタ程度に読んでいただけると幸いです。でももし賛同意見があればおしらせくださいませ。




仮説1)
子どもを抱っこするほどに、おっぱい大きくなってない?


たとえ男性がどれほどまでに育児参加しているつもりになっても、子どもというものは残酷なもので、パパの抱っこよりもママのほうがおちついて甘えます。英語で言うと、ダンナー ザン ママー(あれ、ちがうか?)な現象です。このように、ママのほうが抱っこ上手なのは、やはり身体のやわらかさにあるのだそうです。たしかに、男性のゴツゴツした身体で抱っこされても説得力はないよな、とぼくもおもいます。比喩る(「ひゆる」)なら、プレーヤーとしてはなにも実績のなかったオッサンがどういうわけだか突然課長になっちゃって、そのとたんに「おれが28歳の頃はさあ・・・」と自分語りを飲み屋でしはじめるくらい説得力がないです。

しかし、あくまで仮説ですが「男も、抱っこをする時間に比例して女性のような柔らかい肉体になってくるんじゃないか?」とおもうようになりました。げんに、ぼくは日々おっぱいがおおきくなっているんですよね。・・・ただ太ってきただけかもしれませんし、たぶん太っただけなんです。いや、やはりここは「肉体におっぱいが宿る仮説」を唱え続けていきたいです!

で、そういう視点でみると、ぼくが育児のもろもろについて参考にしている「ファザーリングジャパン」の方々(みなさん育児されています)がみんなおっぱい大きそうに見えてきます。
http://www.fathering.jp/interview.html




仮説2)
仮説1の延長で、なんか頭髪が復活してきてない?


仮説1で、おっぱいが大きくなる、と書きましたが、たぶん子どもを抱っこしていると、女性ホルモンっぽいなにかの物質がどっかから分泌されているのだとおもうんです。だからおっぱいが大きくなるんじゃないかな、と。いや、ぜんぜん根拠ないですけれど。で、そのなんか女性ホルモンっぽいもののおかげで、なんか気のせいか抜け毛の進行が止まったような気がするんです(個人の体験であり、効果を保証するものではありません)。たぶん、プラセボなのかもしれません。でもいいや。結果オーライです。

実際、そういう視点で、さきほどのの紹介サイトのみなさんをまた見てみると、みんな毛髪に不自由がない方々ばかりに見受けられませんか?

この仮説については、もし証明されれば、男性の育児参加率のUPに寄与するのではないかとおもっています。現在は、ミノキシジルプロペシアやらの成分の発見や植毛技術やらが進歩して、薄毛は決して克服できない悩みではなくなりました。が、やはりどの治療法もけっして安いとはいえません。でも、我がお子を抱っこするのにはお金はかかりません。しかも、奥様から感謝されることもあるくらいです。いいことづくめじゃあないですか。はじめてみませんか「抱っこ発毛法」。まずは、あなたから。(CMっぽく、倒置法を使わせてもらいました)。







本日のガンダム話。

ガンプラブームのとき(たぶん小学3・4年頃)、
ぼくが最初に手に入れることができたプラモデルは
「武器セット」でした。

非コミュのパパが、ご婦人に話しかけられた時のライフハック術。

みなさんこんにちは。まずはじめに、お忙しいかた(「おれ、これから代理店でプレゼンなう。」みたいなかた)は、太字の見出しだけ読んでみてください。あなたにとって「あとで読むタグ」するバリューがあるかどうかご判断いただけるとおもいます(といいつつ、長い前置きに入ります)。さてみなさん、オリンピックは観てますか。ぼくはそこそこ観ています。地デジで。いや、べつにオリンピックについて語りたいわけではなくて、あのですね、ちょっと、仕事では気軽に「オリンピック」という言葉を使うことは権利的にNOみたいな社会にぼくらは生きているじゃないですか。だから、じぶんのブログくらいでは言ってみたかった「だけ」なんです。ということで、オリンピックとはまったく無関係の「パパ育児」について、今回も書かせていただきます。


「会話は苦手!でも、できればナイスな言葉を返したい」…そんなパパさんに。

子ども(1歳)を連れて電車に乗っていると、見ず知らずの方からでも頻繁に話しかけられます。そのほとんどは女性の方ですが、パターンとしては圧倒的に「かわいいですねぇ」という、とても素直なお言葉です。出現率としては90%くらいかな・・・あと7%くらいは「んふふふ」というような、どうにも判別しかねる言葉をだったりしますけど。で、それは共生社会に生きるわたしたちとしてほほえましい光景だし、日常から人びとが笑顔を交わしあう社会というのは大切だと思っております。しかしです。それはあくまでマクロ的な、一般論としての話なのであり、ぼくは人との会話がとにかく苦手なのです。息子のことで話かけられても「え。はぁ。あ、そんなほどでも・・・」などとガッチガッチになってしまうのです。そして胸のなかでは(あぁ、せっかく共生社会に生きる一員なのに、なぜ、温かいナイスな言葉を返すことができなかったんだ・・・もうだめだぁ!)などと凹んでしまうのです。「フラワー・オブ・ライフ」(よしながふみさん)の三国くんの一巻の頃をイメージしてもらえるといいかな、ですね。

まあ、話しかけくれたお相手さまも、実際はそんなに濃厚なコミュニケーションをしたいわけではなく、微笑みかけたい程度なんでしょうけどね・・・それに気付くまで、けっこう時間がかかりましたね。

さて、せっかく言葉をかけてもらえたのですから、やはり気持ちよくお返事をかえして、どんどん前向きなコミュニケーション(ちょと胡散臭い言い方か?)を重ねていきたいと思うじゃないですか。けれど、育児に慣れてないパパさんは上手に振る舞えなくて、ぼくと同じようにトホホな気分になっているのではないでしょうか(え!ぼくだけだったらどうしょう!)。今回はそんな方に(たぶん)役立つであろうテクニックを紹介したいと思いました。この1年間で血を吐く思いで会得した会話術です。

テクニックa.相手の言葉を繰り返す

「かわいいですねぇ」と、見ず知らずのご婦人から言われた場合、その言葉をそのまま繰り返し、わが子へ重ねてみましょう。


ご婦人:「あら〜、かわいいわねぇ」

パパ:「『かわいい』って、ほめられちゃいましたねぇ



いいですか。このように、言われた言葉を右から左へ(もしくは左から右へ)流すだけです。

ここでひとつポイントがあります。幼児語を使いましょう。


ご婦人:「あら〜、いいお顔ねぇ」

パパ:「『いいお顔ねぇ』って、ほめられちゃいまちたでちゅねぇ☆




恥ずかしがってはいけません。仕事の顔と育児の顔、ON/OFFをスムーズに切り替えられてこそ、イクメンパラダイス時代の男の鏡です。

たとえあなたがどんなヤクザな顔をしていても、マストでやりきってください。


テクニックb.こどもの心情を勝手に代弁する


さて次に、レベルを一段階上げてみます。こどもの心情を勝手に代弁する言葉を追加してみましょう。



おばちゃん:「あら〜、かわいいわねぇ」

パパ:「かわいいって!ほめられちゃいましたねぇ。ご機嫌ちゃんでちゅねぇ☆



実際には我が子がご機嫌かどうかなんて分かりません。たとえ瞬時に10万フォロワーを獲得したダライラマさんですら、わかるはずもないでしょう。乳幼児はそんなに高度な感情表現なんてできないのですから。だからこそ、そこつけこみ、勝手に代弁することで相手の好意に返礼するという高度なテクニックなのです!そして、話しかけてくれたご婦人には「あはは。ご機嫌になりましたよ!ありがとうございます」と、親としての自分の気持ちをつけくわえる。こうすれば、以後の会話がスムーズに進められます。

はい。まとめます。


1)お言葉をいただく

2)子どもに反復して伝える(幼児語で)

3)こどもの心情を代弁する(勝手に代弁&幼児語で)

4)感謝の言葉を親の立場から伝える。

・・・この4つの流れが、ぼくが開発した「育児ラポール」の基本形、ということになります。



まぁ、あくまでひとつの型で、ほんとうは相手の気持ちを酌みながら話すのが良いに決まっていますが、人づきあいがが苦手なぼくみたいなタイプは、ある程度の型に頼ったっていいんじゃないかと思う次第なのです。あと、ビジネスにおいても、商談の本題に入る前の前置き話に「ラポール」とかわざわざ専門用語をつけて、その効能について考えている方々がいらっしゃいます。なので、まあぼくは「育児ラポール」と細分化した分野にニッチリーダーになるべく考えつづけたいと思っています。


※ただし「勝手に代弁」が成り立つのは1歳くらいまででしょう。どうみても不機嫌だな、この5歳児。なんてことになりかねません。あくまで新米パパ向けですので。(万能じゃねーぞ、ということを言っておきますね)。




関連エントリー(kobeniさんの)
そして今日もオバチャンは赤ちゃんに笑いかける - kobeniの日記





本日のガンダム名言。


「地球に家があるってだけでもエリートさ」カイ・シデン

kobeniさんのダンナ、育児にまつわるニ、三の事柄について語り始める の巻。

みなさんこんにちは。kobeniさんのダンナです。なまえは「zanbottosan」(さしつかえなければ「ザンボットさん」とよんでください)です。
まず先に「kobeniの日記(kobeniの日記)」をお読みくださると、登場人物の関係に深みを感じられて、銀河英雄伝説なみに楽しめることになります。
えっと。ようは、このブログは、嫁のブログでの執筆が発端でして、いわゆるスピンオフ、っというヤツです。・・・前回の記事に、たくさんのブコメをいただきまして、それに御礼の意を伝えたかったのが、今回ブログを開設した理由です。
あと、twitterも開設しました。http://twitter.com/zanbottosan

・・・共感してもらえる人がいる、というのはとても気持ちがいいものですね。(非コミュなのですが、こういう温かさはわかります。)ありがたい気持ちでいっぱいです。コメントくれた人、ブクマの人、みんな読みましたよ(←これ、アイドルっぽくて言ってみたかった!)。ほんとうにありがとうございます。

さて、御礼だけというのもアレなんで、今後もこの場所で「育児+パパ」の話を披露していこうかともおもいました。あ、でも、これからは、ブクマは「2コ」もいただければ、もうお腹いっぱいです。レタスバーガープリーズ、OK、OKてな感じです。 よろしくおねがいします。
前置きが長いですね。さだまさしのライブみたいだ、と言われないうちに本編にいきます。あ、むしろ言われてみたい。(前置き好き人間)。




今回のポイントは2つです。(←こういうふうに語りはじめるといいんだよ、ってnanapiに載ってたような気がするので真似る)


1)「育児におよび腰になったときは、『職場にかかってきた電話にうまく応対できない課長』の姿に、自分の将来を重ねて見る」


業種や規模で差異はあるでしょうが、職場にかかってくる電話の応対に長けているのは、おもに若手なのが一般的ですよね。最近では、新人が「ぼくら、なにもしらない新人が電話対応するよりも、熟知している方々が受話をとったほうがいいと思います(キりッ)と反論する話をネットで見かけたりもしましたが、話が脱線するのでおいときます。
で、たまに職場のみんなが対応中とかで、課長(オッサンをイメージしてください)が受話器を取らざるをえない状況になることもあるじゃないですか。オッサンがしょうがなく取った電話の先から「○○ さんはこちらでよろしいのですか?」などという質問を受け、即答できずに「あー、ちょっと待ってね」みたいな中途半端な言葉を発する。もうちょっと臨場感をプラスすると、オッサンが誰に聞いていいのかわからなくなって、「あー△△くん、電話、電話。で・ん・わ」と、普段は「くん」なんぞつけないのに。普段はそんなジェスチャーゲームみたいなしぐさなんてしないのに・・・あぁあなたほんとうにドギー&マギーしているのね。
・・・つまり、日ごろから、職場の状況や人間関係が見えていないと、どう対応していいのかが、わからず、うまくふるまえない。そして、なんどか挫折すると「もう電話なんて、若手に任せればいいや、プン!」とまた殻に閉じこもってしまうというサイクルで、硬直化した職場の状態がつくられていくのだと思います。
でもでもですよ。そのオッサンだって、かつて若手だった時期は、電話をとりまくっていたハズじゃないですか!ぼくもそうでした。ぼくが若手でイケイケだった当時はまだケータイがぜんぜん普及していなく、日中ずっと電話応対をしていました。「受話器をとってフッキングをon!」「受話器をとってフッキングをon!」「受話器をとってフッキングをon!ブツブツ・・・」とやっていた95年ごろでしたね。(今回はエヴァかよ)

話を戻します。つまり、人はだれでも「できる」はずなのです。役割を分けてしまうから、できなくなっていくことがあるのだとおもいます。新人に「おまえの仕事だろ」と電話対応をさせるのは、業務分掌的には正しい。しかし、新しい情報のインプットと経験を失っている、という側面もあるのです。
男性の育児参加もこれに似ています・・・と結論づけたいところでもありますが、じつはそこだけを主に話をしたい訳ではなくて、ぼくらリーマンが「仕事が優先だろ」 と言って家庭を投げ出しながらとりくんでいる、その仕事でさえ、大切な部分を投げ出していたりするという、構造があるんじゃないかなぁ、とおもっているんです。マトリョーシカみたいな構造。中身はなんもないイメージ。(もちろん、さきの電話応対の話はあくまでも例えです。)

なんでも、自分にとって面倒なコトを投げ出しつづけた未来。それは、職場の電話一本にドギマギしちゃう、若手とコミットできなくなっちゃってる、上司の姿。育児は妻やだれかに任せてしまっている。彼にはこの先、なにが残るのだろうか。気をつけないと、ぼくもそうなるかもしれない。だからぼくは育児におよび腰になったときに、こんなオッサンたちをイメージすることにしているんです。




2)「もうひとり多い、を想定してうごく」

ぼくらには息子がひとりいます。休日になるとぼくは、その息子の手をとって散歩をしたりします。でもけっこうヒヤヒヤな気分で過ごしているんです。まだヨチヨチ歩きだから、大丈夫かなぁ、ちゃんと歩けるかなぁとか思ってしまって。けっこう彼を見ているだけで、もう、いっぱいいっぱいなステイタスなのです。でもたまーに、町で3歳くらいのコの手をひっぱりながら、赤子を抱っこしているお母さんを見かけたり(残念ながらパパはあまり見ないなぁ)します。正直すごいとおもいます。「ちょwww。マジそんなのジブンには無理なんですけど。てか、それ命っすよ。奥さんが抱いてんの、それ命っすよ。マジで、すげぇ」みたいな、とってもうわついた気持ちになってしまいます。超リスペクトな気持ちですね。いまのぼくのスキルではとてもできません。この町の超町長になってもらいたいわ、とおもったりします。
でも、ぼくも何年後には、もうひとり、ふたり、とか子どもふえているかもしれないのです。で、もし子どもがふえた場合、先に紹介したお母さんをリスペクトしている場合ではないんですよね。もう自分がそっちの番だということになります。で、ですね。そういうことを想像してたら、なんかいまの状況にビビっている自分が小さく感じたんですね。性器が。いや自分の器がですが。だもんですから、つねにひとり多い状態を想像してみると、ちょっと自分を見直す機会になるんですよね、って話です。かなり自戒を込めています。息子を抱っこしておむつを替えに行こうかというとき、もうひとり想像のお子が勝手な方向へ走り出したらぼくはどうするんだろう?って、シミュレーションしたりしているのです。
前回の「周回おくれ」への自己レスにもなっちゃったかな。

・ ・・というようなかんじで、本日は失礼させてもらおうかと思います。




本日のガンダム話。

「左舷、弾幕薄いよ、なにやってんの!」と艦長のブライトさんが叱咤するシーンは有名ですが、これって「左舷のクルー、死んじゃってのかもなぁ」って、最近トイレで用をたしているときに気が付いてしまい、上からも漏らす羽目になりました(嗚咽を)。左舷のクルーだって、サボっているわけではないとおもうので。悲しい描写なんですよね。
・・・って、じつは、このセリフ自体は、しらべたら、ブライトさんは一度も言っていないみたいでした。いろんなセリフがゴッチャになったみたいです。あ、ゴッチャは、いとうまゆさん(おかあさんといっしょ)のではなくてですよw(じぶんでも、うっとうしいなあ)