kobeniさんのダンナ、育児にまつわるニ、三の事柄について語り始める の巻。

みなさんこんにちは。kobeniさんのダンナです。なまえは「zanbottosan」(さしつかえなければ「ザンボットさん」とよんでください)です。
まず先に「kobeniの日記(kobeniの日記)」をお読みくださると、登場人物の関係に深みを感じられて、銀河英雄伝説なみに楽しめることになります。
えっと。ようは、このブログは、嫁のブログでの執筆が発端でして、いわゆるスピンオフ、っというヤツです。・・・前回の記事に、たくさんのブコメをいただきまして、それに御礼の意を伝えたかったのが、今回ブログを開設した理由です。
あと、twitterも開設しました。http://twitter.com/zanbottosan

・・・共感してもらえる人がいる、というのはとても気持ちがいいものですね。(非コミュなのですが、こういう温かさはわかります。)ありがたい気持ちでいっぱいです。コメントくれた人、ブクマの人、みんな読みましたよ(←これ、アイドルっぽくて言ってみたかった!)。ほんとうにありがとうございます。

さて、御礼だけというのもアレなんで、今後もこの場所で「育児+パパ」の話を披露していこうかともおもいました。あ、でも、これからは、ブクマは「2コ」もいただければ、もうお腹いっぱいです。レタスバーガープリーズ、OK、OKてな感じです。 よろしくおねがいします。
前置きが長いですね。さだまさしのライブみたいだ、と言われないうちに本編にいきます。あ、むしろ言われてみたい。(前置き好き人間)。




今回のポイントは2つです。(←こういうふうに語りはじめるといいんだよ、ってnanapiに載ってたような気がするので真似る)


1)「育児におよび腰になったときは、『職場にかかってきた電話にうまく応対できない課長』の姿に、自分の将来を重ねて見る」


業種や規模で差異はあるでしょうが、職場にかかってくる電話の応対に長けているのは、おもに若手なのが一般的ですよね。最近では、新人が「ぼくら、なにもしらない新人が電話対応するよりも、熟知している方々が受話をとったほうがいいと思います(キりッ)と反論する話をネットで見かけたりもしましたが、話が脱線するのでおいときます。
で、たまに職場のみんなが対応中とかで、課長(オッサンをイメージしてください)が受話器を取らざるをえない状況になることもあるじゃないですか。オッサンがしょうがなく取った電話の先から「○○ さんはこちらでよろしいのですか?」などという質問を受け、即答できずに「あー、ちょっと待ってね」みたいな中途半端な言葉を発する。もうちょっと臨場感をプラスすると、オッサンが誰に聞いていいのかわからなくなって、「あー△△くん、電話、電話。で・ん・わ」と、普段は「くん」なんぞつけないのに。普段はそんなジェスチャーゲームみたいなしぐさなんてしないのに・・・あぁあなたほんとうにドギー&マギーしているのね。
・・・つまり、日ごろから、職場の状況や人間関係が見えていないと、どう対応していいのかが、わからず、うまくふるまえない。そして、なんどか挫折すると「もう電話なんて、若手に任せればいいや、プン!」とまた殻に閉じこもってしまうというサイクルで、硬直化した職場の状態がつくられていくのだと思います。
でもでもですよ。そのオッサンだって、かつて若手だった時期は、電話をとりまくっていたハズじゃないですか!ぼくもそうでした。ぼくが若手でイケイケだった当時はまだケータイがぜんぜん普及していなく、日中ずっと電話応対をしていました。「受話器をとってフッキングをon!」「受話器をとってフッキングをon!」「受話器をとってフッキングをon!ブツブツ・・・」とやっていた95年ごろでしたね。(今回はエヴァかよ)

話を戻します。つまり、人はだれでも「できる」はずなのです。役割を分けてしまうから、できなくなっていくことがあるのだとおもいます。新人に「おまえの仕事だろ」と電話対応をさせるのは、業務分掌的には正しい。しかし、新しい情報のインプットと経験を失っている、という側面もあるのです。
男性の育児参加もこれに似ています・・・と結論づけたいところでもありますが、じつはそこだけを主に話をしたい訳ではなくて、ぼくらリーマンが「仕事が優先だろ」 と言って家庭を投げ出しながらとりくんでいる、その仕事でさえ、大切な部分を投げ出していたりするという、構造があるんじゃないかなぁ、とおもっているんです。マトリョーシカみたいな構造。中身はなんもないイメージ。(もちろん、さきの電話応対の話はあくまでも例えです。)

なんでも、自分にとって面倒なコトを投げ出しつづけた未来。それは、職場の電話一本にドギマギしちゃう、若手とコミットできなくなっちゃってる、上司の姿。育児は妻やだれかに任せてしまっている。彼にはこの先、なにが残るのだろうか。気をつけないと、ぼくもそうなるかもしれない。だからぼくは育児におよび腰になったときに、こんなオッサンたちをイメージすることにしているんです。




2)「もうひとり多い、を想定してうごく」

ぼくらには息子がひとりいます。休日になるとぼくは、その息子の手をとって散歩をしたりします。でもけっこうヒヤヒヤな気分で過ごしているんです。まだヨチヨチ歩きだから、大丈夫かなぁ、ちゃんと歩けるかなぁとか思ってしまって。けっこう彼を見ているだけで、もう、いっぱいいっぱいなステイタスなのです。でもたまーに、町で3歳くらいのコの手をひっぱりながら、赤子を抱っこしているお母さんを見かけたり(残念ながらパパはあまり見ないなぁ)します。正直すごいとおもいます。「ちょwww。マジそんなのジブンには無理なんですけど。てか、それ命っすよ。奥さんが抱いてんの、それ命っすよ。マジで、すげぇ」みたいな、とってもうわついた気持ちになってしまいます。超リスペクトな気持ちですね。いまのぼくのスキルではとてもできません。この町の超町長になってもらいたいわ、とおもったりします。
でも、ぼくも何年後には、もうひとり、ふたり、とか子どもふえているかもしれないのです。で、もし子どもがふえた場合、先に紹介したお母さんをリスペクトしている場合ではないんですよね。もう自分がそっちの番だということになります。で、ですね。そういうことを想像してたら、なんかいまの状況にビビっている自分が小さく感じたんですね。性器が。いや自分の器がですが。だもんですから、つねにひとり多い状態を想像してみると、ちょっと自分を見直す機会になるんですよね、って話です。かなり自戒を込めています。息子を抱っこしておむつを替えに行こうかというとき、もうひとり想像のお子が勝手な方向へ走り出したらぼくはどうするんだろう?って、シミュレーションしたりしているのです。
前回の「周回おくれ」への自己レスにもなっちゃったかな。

・ ・・というようなかんじで、本日は失礼させてもらおうかと思います。




本日のガンダム話。

「左舷、弾幕薄いよ、なにやってんの!」と艦長のブライトさんが叱咤するシーンは有名ですが、これって「左舷のクルー、死んじゃってのかもなぁ」って、最近トイレで用をたしているときに気が付いてしまい、上からも漏らす羽目になりました(嗚咽を)。左舷のクルーだって、サボっているわけではないとおもうので。悲しい描写なんですよね。
・・・って、じつは、このセリフ自体は、しらべたら、ブライトさんは一度も言っていないみたいでした。いろんなセリフがゴッチャになったみたいです。あ、ゴッチャは、いとうまゆさん(おかあさんといっしょ)のではなくてですよw(じぶんでも、うっとうしいなあ)